2008年8月2日土曜日

新内閣閣僚の中身 (農水・経済産業)

政治には(にもw)疎いのでコピペ!!
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/34895726.html
(まいどのcoffeeさんのブログより拝借。カッコ内は私が検索かけたものから抜粋等)


(続き)


農水 太田誠一

自民党人権問題等調査会会長言論と人権を弾圧する「人権擁護法案」を法律にすることを目指している

宏池会の会長代行を務める。1998年行革担当大臣・総務庁長官。


2007年2月20日、衆議院議員在職25年を迎え衆議院より院議をもって表彰された。
1964年 3月 - 慶應義塾高等学校 卒業
1968年 3月 - 慶應義塾大学経済学部 卒業
1973年 3月 - 慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程 単位取得退学 
1976年 4月 - 福岡大学経済学部 助教授 
1977年 9月 - 米国ブラウン大学 客員助教授
1988年12月 - 大蔵政務次官
1991年 1月 - 衆議院・土地問題等に関する特別委員長
1991年11月 - 衆議院・大蔵委員長
1993年 1月 - 自民党・財政部会長
1994年 4月 - 自民党離党、新党自由党結党
1995年 7月 - 自民党復党
1996年11月 - 自民党筆頭副幹事長
1998年 7月 - 国務大臣総務庁長官・行政改革担当大臣 中央省庁等改革推進本部副本部長、青少年対策本部長
1999年10月 - 自民党・行政改革推進本部副本部長兼事務局長
2000年12月 - 自民党・政治制度改革本部長
2001年 5月 - 自民党・行政改革推進本部長
2002年 9月 - 金融再生特別委員長
2006年10月 - 宏池会(古賀派)会長代理に、翌年9月27日、会長代行に就任
2007年11月 - 1年ぶりに設置された自民党人権問題等調査会の会長に就任

1997年ストック・オプションの導入を目指し、保岡興治らと商法を改正し、これが基本法の改正を始めて議員立法で行い、政府の法制審議会との対立が注目された。

2000年児童虐待防止法を超党派の議員立法で作る。虐待の通告義務や親権停止、家庭内への立入りなどに慎重な政府を説得し短期間で成立に持ち込む。後のDV法や高齢者虐待防止法へのきっかけとなる。

2001年コーポレート・ガバナンスを立法に持ち込み、監査役機能強化を軸とした商法改正を保岡興治らと議員立法で成立させる
(んー、虐待防止法、ストックオプション、コーポレート・ガバナンスなども彼からすると「良かれ」とおもってやったのだろうけど、、、全く逆の碌でもないように活用されてるのがあるし、、事後の状態を把握しているのかなー。実態に合わせた「改良」は必ず必要になるのだが。)

2001年中央省庁等改革を行革大臣として携わり現在の1府12省の形を作った。特殊法人等改革基本法を議員立法で成立させ、自民党行政改革推進本部長として166の特殊法人を3日間に亘った本部総会の大議論の末、廃止統合などの整理合理化計画を強行した。

2005年郵政解散にともなう第44回衆議院議員総選挙で国政に復帰した後、宏池会丹羽・古賀派で一部の反対を押し切り古賀誠を会長に押し上げ、剛腕ぶりが非難された。


日韓トンネル研究会顧問
日韓海底トンネル推進議連所属

以上ウィキから
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%94%B0%E8%AA%A0%E4%B8%80

力はありそうだ。豪腕辣腕、力づくというタイプか?
んー、「おれはベテランなんだ!」とか長老ぶっていると、そのうち「老人はお引取りください」といわれるぞ。若手でもいいのはいるし、、しっかりした若手を育てられるじじぃになってほしいが、古賀にくっついていること自体が、、、反日本的にならざるを得ないのではないのか?まともな若もんは近寄ってこないわな。
あと、上下朝鮮についての己の行動をどうしているのだろう?








経済産業 二階俊博
「北京オリンピックを支援する議員の会」副会長
支那の対日政策責任者が「七人のサムライ」と呼んで頼りにしている自民党議員の1人
地元に江沢民の銅像を建てようとしたことでも有名な支那の走狗

2000年5月20日当時運輸相だった二階俊博の提案で、北京の人民大会堂に旅行業者や地方議員ら5200人の「日中文化交流使節団」を集結させた(江沢民らに謁見するだけのパーティー)。

2005年7月東シナ海の石油ガス田開発をめぐり、当時の中川昭一経産相が帝国石油に東シナ海のガス田の試掘許可を下ろしたが、秋に二階俊博が経産相になると、試掘を中止させた。

12月26日約122億円の年金資金を投じて建設された大規模年金保養施設「グリーンピア南紀」の約300ヘクタールの土地や宿泊施設は、支那系リゾート会社「BOAO(ボアオ)」の蒋暁松会長の「心と実行力があるパートナー」二階俊博の計らいによって、1億6千万円で「BOAO」に事実上売却。

2006年麻生外相の「核論議是認論」に対して「任命権者の責任だ」と安倍首相の責任まで厳しく追及

2007年1月「北京詣で」をして4月の温家宝訪日の際に衆議院本会議場で演説をさせることを決め、更に、日支双方で計2万人以上の訪問団を派遣することを合意


運輸大臣(第76・77代)、
北海道開発庁長官(第69・70代)、
経済産業大臣(第6代)、
保守新党幹事長、和歌山県議会議員(2期)を歴任

竹下派結成に当たっては、二階は、田中に対する配慮と師事していた遠藤三郎が元藤山愛一郎派に属しており、そのつながりで江崎真澄に近いことから創政会には参加しなかったが、その後、奥田敬和ら中間派が竹下派に参加したことを契機に自身も参加した

1990年、海部俊樹内閣で運輸政務次官に就任。
1992年の竹下派分裂の際は、小沢一郎に同調し、羽田派に参加。
1993年、宮沢内閣不信任案に賛成し、自由民主党を離党、小沢らと共に新生党を結成に参加した。
総選挙後、発足した細川連立政権で運輸政務次官に就任する。細川政権下での政務次官時代は社会党の伊藤茂運輸大臣を差し置いて、影の運輸大臣と呼ばれた。

細川・羽田政権後、新進党にも参加し、「明日の内閣」の国土・交通政策担当などを務めた。また、小沢側近として小沢党首選出に尽力した。
1998年、小沢に従い自由党に参加。国会対策委員長として自自連立政権樹立に動き、1999年の第二次小渕恵三改造内閣で運輸大臣兼北海道開発庁長官として入閣した

2000年4月、自由党の政策が実現されないと連立解消を主張する小沢と袂を分かち、野田毅らと保守党を結成し、自公保連立政権に参加。小渕内閣を引き継いだ森喜朗内閣で留任。
同年7月、保守党国会対策委員長に就任。2001年に保守党幹事長に就任。

2002年、保守新党でも幹事長に就任したが、2003年(平成15年)の第43回衆議院議員総選挙で保守新党は代表の熊谷弘が落選するなど惨敗し、自由民主党に吸収された。復党後、旧保守新党の議員らで二階グループを結成し会長に就任。

2004年9月、自由民主党の総務局長に就任。
郵政国会では郵政民営化法案の衆院通過に尽力した上、その後の郵政解散による第44回衆議院議員総選挙では選挙責任者の総務局長として候補者擁立などに奔走し、自民党圧勝の功労者となった。この大勝利をきっかけに総務局長の地位が見直され、選挙対策総局長、選挙対策委員長と名称変更、地位向上が行われるようになった。(つながりの多さと太さの結果だろう。こういうのを利用するのも両刃の剣ともなる。先々を考えたら、完全排除のほうが安全なのだが)

総選挙での功績を買われて2005年10月に成立した第3次小泉改造内閣では経済産業大臣
(対中国パイプか?)

まだ保守新党が存続していた時代、地元の田辺市の新庄総合公園に江沢民が自筆で書いた「登高望遠睦隣友好」の文字と、自身も参加した2000年の日中文化観光交流使節団に対して江が発表した重要講話を刻んだ日中国交正常化30周年記念碑の建立を計画し、全国各地にも同様の石碑を建立する心算であったが、地元の抵抗等もあって頓挫した。

新幹線の中国への輸出に関し、訪中時に新幹線担当の曽培炎国家発展計画委員会主任(大臣)、さらに陳健中国大使に対し、「日本は、中国から文化を教わり、その延長線上に今日の日本の繁栄がある。そのなかから、たまたま新幹線の技術を開発した。(中略)この技術が中国の発展にもしお役にたつならば、どうぞ一つお使いください。積極的に協力します」と発言した。

東シナ海の日中中間線でのガス田開発問題では、麻生外務大臣が中華人民共和国によるガス田開発強行に断固対応する姿勢を示すと、この「日本の対応に“こそ”問題がある」、「強硬に対応するなら勝手にやればいい」と述べた

2007年夏の参院選後に、古賀誠元幹事長・森喜朗元首相らと新たな日中友好議員連盟の結成を予定していると報じられた。

2007年7月4日に、中華人民共和国の王毅大使と大使公邸で懇談し協力を求めた。日中国交正常化35周年に合わせて日本と中華人民共和国が進める「2万人交流」プロジェクトが今秋にも達成されるのに合わせ、双方で記念式典を開催することで一致したとされる。
その行事記念として2007年10月12日に中国人民解放軍交響楽団の日本公演を行った。

自由党、保守党時代に国会対策委員長を務め、自由民主党でも国対委員長を務めた。
1999年の通常国会では、自民党国対委員長の古賀誠、公明党国対委員長の草川昭三としばしば懇談し、3人は当時の流行歌『だんご3兄弟』をもじって「談合三兄弟」と称された。二階はこれを逆手に取り、西川太一郎(当時、自由党国対副委員長)主催の形でだんごを食べながら国政を語るという「だんごの会」を計画。会期末間近の8月8日に開催され、「3兄弟」そろって参加することで結束をアピールした。自自公連立政権成立に、3人は大きな役割を果たしたと言われる。その後も3人は強いパイプを保った。

馳浩によると、「その人脈と調整力と勝負カンの鋭さと気配りは、衆目の一致するところ」であるという(「『馳 浩の永田町通信』2006年12月号 「二階マジック」」)。

同じく馳の記事によると、2005年の郵政国会では、民主党の筆頭理事であった中井洽の弱みを利用し、中井の顔を立てる形で採決には協力させた。

また、2006年10月9日に北朝鮮が核実験を行ったが、二階はあらかじめ6日に「週末に北朝鮮が核実験をもしも行ったら、世界で唯一の被爆国である日本は、強い抗議声明を国民総意として世界に発信しなければならない。そのためには、与野党の国会対策責任者がその準備をしておかねばならない。土日祝日だからといって危機管理の対応が疎かになってはならん。いざという時には休日であっても集まって、本会議を開く準備をしておこう!!」と各党の国対委員長の元に出向いて頭を下げてお願いに回っていた。
その結果、翌10月10日に、核実験への非難決議を、全会一致で採択させることができたという。(こりゃ、中国からの情報を利用しただけだろ?そこまで中国に忠誠を誓っていると、中国側が見ている証だろ?)

また、松浪健四郎によれば、日本共産党の議員とも「人間的な信頼関係で結ばれている」(「健四郎代議士日記 擁立」)という。(弱みをにぎっているんだろーよ)

グリーンピア南紀(和歌山県)の跡地開発をめぐり、所有する那智勝浦町に中華人民共和国のリゾート会社『香港BOAO』を紹介したのは、地元政界に強い影響力を持つ二階だと報じられている。
(参考 http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid277.html)

跡地は賃貸後の2015年に無料で業者へ譲渡されるという異例の契約となっており、地元で批判が高まっている。

グリーンピア跡地の大半が公募で請負先を決めている中では異例だった。

その後、資金難を理由に開発計画を先延ばししようとしたペーパーカンパニーの疑いが濃い香港BOAOに対して 那智勝浦町議会は、債務不履行を理由に契約解除を決めたが、違約金等で長引く可能性があり、 そもそもこのような会社を紹介し、圧力をかけた二階氏に対する疑問の声は地元ですら多い。
香港BOAO側も那智勝浦町長も二階氏に紹介されたと証言しており、自分は関係ないとする二階氏の態度に疑問がもたれている。(金のバックが半端じゃないんだろうな。中国も日本の資産を盗めるのでやる気満々だろ?)

2008年3月30日に国道42号線のバイパスとして開通した那智勝浦道路に関して、二階が強い影響力を持って作らせたとして『二階バイパス』と呼ばれている。15分を短縮させるために建設にかかった費用は1240億円である。(これで次回の選挙も安心か?当然地元業者つかったんだろうから)


日韓議員連盟常任幹事
北京オリンピックを支援する議員の会副会長
日中緑化推進議員連盟


ここまでウィキから
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E9%9A%8E%E4%BF%8A%E5%8D%9A


こいつあ、福ちゃん、断りきれなかったね。中国からの厳命だったんだろ?

典型的な化石議員ですね。
今の世の中には ま っ た く 必 要 の 無 い 人 間 です。
というか、害悪にしかないっていないじゃないか。ワクチン作ってもすぐに変異してしまう優秀な病原菌とどう違う?
早く墓の中に帰ったほうが良い。

今回調べた中では、自民から早急に排除すべき人間の筆頭かもしれない。
北海道時代はどんな悪さをしてきたんだ??
運輸政務次官時代も続いたな。何でもしでかせたろう?



参考
http://www.tamanegiya.com/nikai.html
二階俊博と江沢民
○週刊新潮2003年2月13日号より引用
(抜粋)

野中広務の後継者 

それにしても二階氏の石碑にかける熱心さはどうだろう。
それだけではない。田辺市だけでも大変な騒動になっているのに、二階氏は日本全国に作ろうとしているのである。 

実は、この石碑建立計画、もともと平成12年5月に『日中文化交流使節団』なる5000人の日本人団体が中国人民大会堂を訪れた際、江沢民氏が話した「講話」を記念して建立しょうと企画されたものだった。

 使節団の団長は日本画家の平山郁夫氏だが、事実上率いていたのは、使節団の顧問で当時運輸大臣だった二階代議士である。

 「講話の内容は、歴史問題にさらりと触れる程度でしたが、その様子はまさに朝貢外交の使節団そのものでした。
江沢民氏も5000人もの日本人を集めた二階氏の手腕を高く評価したそうです。

二階氏は竹下登元首相に大変可愛がられていた政治家で、竹下的な根回しや政治手法を最もよく引き継いでいるともいえます。今は他党に所属していますが、中国に関しては野中広務氏の後継者とみて間違いありません」(政治部記者)

 二階氏は、この訪問のあと、さっそく江沢民氏に重要講話の記念碑を作ることを提案し直筆の書を依頼している。そして昨年夏には、ご丁寧にも東京のホテルで武大偉大使や観光大臣の立会いのもとで、その授与式まで開いているのだ。 

保守新党の機関紙を見ると、二階氏はこの様子を嬉しそうに語っている。
 「この中国側のご配慮にふさわしい記念碑を日本の数カ所に建立する予定です。 早速、木村(和歌山県)知事から、中国とのゆかりの深い本県にも適当な場所を選んで建立してはどうかとのご提案を頂いております。新東京国際空港公団、・新築される束京駅、青森県、福岡県、大阪府等から希望の申し出を頂いております」

 大変な鼻息だが、そこで二階代議士ご当人の弁。
「田辺市以外の5カ所からは確かに申し出があったけど、まだ決まったわけじゃありません。そもそも江沢民主席の重要講話というのは、そう簡単に出るものじやないんです。それで使節団の関係者が感動して形にしようと考えているだけ。江沢民主席のことをあれこれ言う人もいるけど、この講話は、江主席が日本の歴史認認を方向転換したという意味でも重要なんですよ。 だから、いまさら石碑についてあれこれ言うのは中国に対する礼儀を欠くことになるよ」

  この人、金正日の講話もありがたがって、石碑を建てかねない。
  江沢民氏が「反日」をやめたというのなら、中国にも小泉首相の靖国参拝記念碑を建ててもらったらどうか。



(続く)



【移民反対】 署名のお願い!! 【根本を考えよう】
よろしかったらご協力お願いいたします!!

http://www.iza.ne.jp/jump/http%253A%252F%252Fwww.shomei.tv%252Fproject-59.html
↑ (ここで署名できます)


北京五輪ボイコット!!


おや?
なぜかこんなところに、北京五輪の公式スポンサー一覧ブログが?? http://14471.iza.ne.jp/blog/entry/515464/




島根県 竹島サイト http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/

南京大虐殺を世界に宣伝する日本大使館
http://tamagawaboat.wordpress.com/2007/02/03/japanese-embassy-advertises-nanking-massacre/ 


<<会社譲ります>>
日本からの輸入販売業(5年経過)
価格 タダw
閉め様と思ったのですが、バンコクを代表する5星ホテル10軒を筆頭に良い固定客がそこそこ付いています。折角ここまで広げたのを無にするのも忍びなく、誰か引き受けてくれる方を探しています。
負債、メンテナンス費用の前受け金が2万バーツ程度。他、なし。
運転経費 事務所、従業員(2人)、経理などの毎月の経費等で約4-5万バーツ

日本人ならば2-3ヶ月で覚えられます。
言語に不安がある方は、夜に語学学校に半年も通えば充分です。何人もの知人がそれで話せるようになっています。

会社さんの場合、伸ばしたい者に研修のつもりで経営させる最小限の規模で、よい経営者感覚を作れるのではないでしょうか。

年数が経っているので、信用は付いています。

ご興味がございましたら、
http://unimaro.blogspot.com/
こちらのブログのコメント欄にメッセージに入れてくださいますよう、お願い申し上げます。







なかのひと

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